ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

1225

書かなければならない思考が2つある。

自己追求する求道者である私にとって重要な思考である。

どちらもそこそこの長さになるだろう。

 

1つは「「私」(自己意識)にしか分からないニュアンスの差異がある」。

2つは「ネガティブ思考は「死」、ポジティブ思考は「生存」とした種を残そうとするための戦略である」。

考えをまとめないといけないのだが、時間を見付けてせっせと取り組みたい。

 

「水道水の水はどうして「私」の自意識を持っていないのか?」についても考えたい。

「すべての物事は正しいリズム、刺さる間があるのではないか?」も問い詰めたい。

「夢に対する努力を一切しなくても、夢を持つことは良いことか?」は改めて考えおきたい。

 

あれもこれも考えなければならない。

考えて、書き記して、また考えてなければならない。

考えるべきなのだ、他に考える人間は私しかいかいのだから。

 

時間が足りない、一つの思考をとっても足りない。

受動的な在り方についてや、愛犬の寿命や、絶対の幸福の相対性についてなどなど。

時間が足りない、私は早く暇になって寝て食べて考えて過ごしたい。

 

優先順位としては「ニュアンスの差異」については書く。

何時書くは、未定だが、書く。

私の血肉となる言葉を紡ぐために書く。

 

天井を仰ぎ見て、胸に誓う。

1224

外に出たらみぞれ雪が降っていた。

肌に触れて直ぐに溶けてしまう雪の中を歩いた。

ふと自由律俳句を考えた。

 

「愚図な私にお似合いのみぞれ雪」

 

愚図とぐずぐずのみぞれ雪がかかって良い出来映えのような気がした。

Twitterで呟いておこう、とアプリを起動した。

「愚図」と文字をフリックして、待てよ、と指を宙に浮かした。

 

私はふっと面白いな、良いな、と感じたが、この言い回しは良いのだろうか?

ユーモアを意識しようと決めたのではないのか?

「愚図な私」ではなく、何か別の言い方があるだろうか?

 

「弱い私」と考えて、違うと感じた。

「迷う私」、「半端な私」、「脆い私」も合っていない。

はて、みぞれ雪に似合う私とは何処にあるのだろうか?

 

そこで愚図な私とは、考えて、寝癖髪を思い起こした。

ああ、このハネた髪とみぞれ雪はピッタリだ、と感じた。

そこで文字数を合うように言い換えた。

 

「ハネた髪にお似合いのみぞれ雪へ」

 

どちらの方が良いだろうか?

具体性が出て尚かつオブラートに包んでいるから、「ハネた髪」の方が良い気がする。

それとも最初の感覚で書いた「愚図な私」の方が響くだろうか?

 

ユーモアの練習だと考えておこう。

そのままにせず、そのままを深堀りする。

巧い下手ではなくて、言葉の練度を上げるために言い換えた。

 

やはり、「ハネた髪」が正解だろう。

少なくとも今の時点の私にとっては正解だ。

今年の抱負にしよう、「良い感じの言葉にする」と。

 

2021年の抱負も決まったし、良いスタートが切れた。

みぞれ雪、万々歳だ。

1223

あと2時間弱で出勤である。

昨日の昼頃まで寝ていたので、寝溜めてはいる。

しかし、やはり少し横になった方が良いかもしれない。

 

脳が活性しているので、本格的に眠れはしないだろう。

むしろ、寝落ちしてしまったら遅刻確定なのでマズい。

仮眠程度の浅い眠りだけを目論む。

 

せめて、もう一記事、21日までは書いておこうか。

そうすれば、次回はもう少し楽になれるはずだ。

タイピングをせかせかと忙しなく打つ。

 

仕事は仕事で作業を圧縮しなければならない。

私の仕事の効率能力で言えば、結構ギリギリになってしまう。

他の人がどう作業をしているのか一から十までつぶさに見ていないので、このギリギリが普通なのか謎だったりする。

 

出勤2時間前まで脳を働かせ、次の記事を見据えて指を働かせ、仕事を終わらせるのに身体を酷使する。

何と言うか、寿命の残高がみるみる減っている。

私の寿命は果たしてどの程度か分からないが、今日だけで大分寿命が減ったのは間違いない。

 

少しぼおとする意識を叩き起こしながら、せかせかと息をする。

1222

「ネガティブな思考もユーモアにすれば良いのでは?」

急に私の中で合点がいった。

目にも耳にもしたようなフレーズなのに、天啓の稲妻が私の脳内で走った。

 

私は私の感じたまま、考えたままを言うことしかできない。

故にネガティブに感じたこと、考えたこともそのままで言うしかなかった。

私はそう言うしかなく、他に言葉がなかったのだ。

 

何年も同じ所を堂々巡り、いたちごっこを飽きて尚繰り返し、最早習性だろうと感じていた。

他に良い言葉があっただろう、と考えながらも、しかし、他に言い換えられないもどかしさ。

数ある私の問題の一つで、中々にしんどい問題だった。

 

「焼肉しゃぶしゃぶぶう」さんの挨拶に来てくれたことに対して、私の微妙な感情の発露をTwitterで呟いた。

当ブログでもそのままに書いた。

何となく、他に言い様があった気がしながら、他に言い様がないよな、とか考えていた。

 

結果、「焼肉しゃぶしゃぶぶう」さんに謝罪させてしまった。

嗚呼、謝らせたい訳じゃないのに、どうして言ってしまったのか。

当該記事を消すのはそれはそれで不誠実に感じて消すことも選べない。

 

どうしたものか、またやらかした。

しかし、数えるのも忘れたほどに何度も繰り返したからか、妙にフラットな精神状態であった。

天啓が来たのは、その時だ。

 

「ネガティブなこともチューニングする」は誰の言葉だったか?

お笑いのネタ、過去の赤裸々話、今までに見て聞いた言葉が瓦解して小さな欠片になって、私の喉元を通り抜けた。

今まで「ネガティブをポジティブにする」は違うと感じ考えていたが、ネガティブをネガティブのままにポジティブに昇華すれば良いのでは?と気付いたのだ。

 

ここに辿り着くのに随分と時間がかかった。

次はもう少し上手く言える気がする。

長年の問題の一つが一歩良くなったのは、素直に嬉しい。

 

ふと、今まで見て聞いたあらゆる正しい答えも、自身が真に納得するのは時間が要するのかもしれない。

頭ではその通りだと分かった気になって、その実、何も分かっていないことが度々ある。

今回の天啓も「一歩良くなった」とは感じるが、「完全に解決した」とは考えないのは、分かった気になってしまっているかもしれないからだ。

 

一歩進んで二歩下がる、彼の古き歌が口を衝いて出る。

ネガティブに感じたままで良いのだ、後ろ向きに考えたままで良いのだ。

その言葉を仕立て直しだけで良いのだ。

 

思考の転換というより、思考の組み換えのような気がする。

私はこれからもネガティブ方向にポジティブに行く。

その上で、ネガティブをネガティブのままに良い感じに仕立て直す。

 

できそうな感覚があるのは良好だ。

やるだけやってみて、後でまた考える。

いたちごっこも悪くない、そういう風に考えられる日が来るとは露ほどにも考えてなかった。

 

私らしく、何年やっても躓く「らしさ」に今日も挑む。

1221

Twitterでよく「イイネ」を押してくれる方がいる。

「焼肉しゃぶしゃぶぶう」さんだ。

国道19号線沿いにある焼肉店だ。

 

今日は夕方頃、エンジンがかかり始めた。

時刻を見ると、17時前であった。

ふと、たしか「焼肉しゃぶしゃぶぶう」さんの夜の営業時間は17時からだったな、と思い出す。

 

思い立ったが吉日、さっさと行くことにした。

40分くらいで現地に着く。

門構えは洒落ているような気がする。

 

一人しゃぶしゃぶはしたことがあったが、一人焼肉はしたことがなかった。

システムがちょっと理解していない部分はあったが、どうにかなる精神で入店する。

奥の席に案内されて、ざっと説明を受ける。

 

最近はタブレットからの注文が普通になっている。

取りあえず、焼肉コースを頼んだ。

後はタブレットで選んで注文、何だ、スムーズにできるじゃないか。

 

フリードリンクも頼んで、さて、ぽちぽちとタブレットを弄る。

焼肉店を利用するときは大勢の場合が多く、「どうする?」とわちゃわちゃしている場面だが、一人だとそういうわちゃわちゃがなくて早い。

何せ、自分の食べたいものを自分が食べられる量だけ注文すれば良いのだ。

 

毎回来れるか、と聞かれると、ちょっとお値段が高いように感じる。

元の値段より食べれる胃袋強靭の人間なら問題ないかもしれない。

小食ではないが、動物性の脂が実は苦手なのかもしれないと去年辺りから気付いた私はほどほどで良いのかもしれない。

 

ほどほどと言いながら、7皿くらいは注文しているから食べている。

サラダが美味いので、もりもりとサラダを食べる。

もしかしたら、サラダオンリーで頼めば元の値段を取れるのでは、と焼肉店にあるまじき考えをする。

 

個人的には、ランチメニューが気になるので、時間があれば昼時に来たい。

ランチメニューはお手頃価格で頼み易そうだ。

私の普段の活動時間と微妙にズレているが、気になるので脳内メモにはしっかと書いておく。

 

さて、一人で黙々と食事を楽しんでいたら、「失礼します」とおじさんが顔を覗かせてきた。

何だ何だ、と訝しく感じていたら、Twitterにてフォローしている「焼肉しゃぶしゃぶぶう」さんの中の人がわざわざ挨拶に来て下さった。

恐らく、店主さんが一顧客でしかない私にわざわざ挨拶に来て頂く、Twitterの恐ろしさを垣間見た。

 

Twitterでイイネを押されたから気になっていたのは事実だ。

「こうちゃんうどん」さんもTwitterでイイネを押されたから気になって行った。

イイネを押されると気になる、とてもチョロい人間なのだ。

 

そう言えば、「こうちゃんうどん」さんも挨拶してくれた。

「こうちゃんうどん」さんの場合は、私からフォローしていることを明かした。

現実でも挨拶する、もっと隠密行動を心がけるべきなのか、悩む。

 

私は私で勝手に気になって、勝手に行動している。

こういう現実での挨拶は嬉しい反面、申し訳なさも感じる。

いや、挨拶をするなという意図はなく、と誰に対しての申し開きか分からない問答をする始末だ。

 

たらふく肉を焼いて食べて、楽しんだ。

さてさて、次はどこに行こうかね?