ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

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サダ子さんをご飯に誘ってみた。

しかし、悉く予定が合わない。

相手の都合もあるので、その都合に合うように工面中だ。

 

ただご飯を食べに行こう、とするだけなのに、こうも合わないか。

ご飯を食べる、30分の、間隙のすれ違い。

ああ、うざがられていないか、心配が募る。

 

同じ職場で、比較的仲の良い人でさえ、ご飯は行けてない。

時間が合わない、合わせる努力をしていない。

帳尻合わせをするためには、ただひたすらに努めなければならない事実を知る。

 

いつもだったら、ここら辺で萎える。

それとももう少ししたら、面倒に感じるだろうか?

今は、「次」をどうにか漕ぎ着けたい哀れなピエロを演じる他ない。

 

目標は月2回会って話すことだ。

相変わらずの意識の低い目標だが、現実、その2回さえ厳しい。

社会人の洗礼だろうか、それとも、脈は無し、と見るべきか?

 

不安の余り、ついに占いを参考にし始める。

占いによれば、攻めていけ、とのこと。

信じて良いのか、良くないのか、ああ、またブレる。

 

世のカップルは易々と乗り越えていくのか、この荒業を。

友達関係でさえアンバランスな私には、困難が過ぎる。

「行きましょう」、「良いですね」だけで終わる、そんな未来が果てしない。

 

誘われることには抵抗がない様子なのが、救いか。

ちくちくと同じメッセンジャーを眺めて、溜息する。

中学生がすでに必修しているだろうことを、32歳になって履修している有様だ。

 

一喜一憂、自問自答、押して駄目なら、どうすれば良い?

答えの出ないことを今日もぐるぐると考える。

784

いちいち、父の物言いにざわり苛立つ。

本当に自分本位な考え方に苛立つ。

そういう人だと分かっていても、苛立ってしまう。

 

父が私に「盆くらい線香をしろ」と威厳たっぷりに言う。

母が父に「だったら、あなたも線香を上げたら?」とそっと言うと、「俺は良いだ、何十年と一緒にいたんだから」とへらへらして言う。

矛盾したことを言っていることに、気付いていない。

 

私が台所からお菓子を数個持って部屋に戻る。

父が「また盗んで」と茶化すように言う。

言い方が人の神経を逆撫でるようだから、冗談が冗談に聞こえない。

 

母が録画したドラマを流し始めた。

そのタイミングで、最大ボリュームでスマートフォンの動画を見始めた。

母がさっと消すと「見ないの?」と言うのを目の当たりにして、正気で聞いているのか、と笑ってしまった。

 

そういう人なのだ、と頭では分かっている。

これが他人なら、十中八九、私は許せる。

これが自分の半分だから、腹が立つ、憎たらしい。

 

この人を許せる日は来ない、と私は観念している。

そして、そんな私の苛立ちを、父は知ることはないだろう。

それは幸福だろうか、それとも不健全だろうか。

 

この隔たりを他の人も持っているのだろうか?

私のような感覚は、世間一般からは外れているだろうか?

ぐずぐずと肥えていく白髪頭の父を見て、溜息が出てしまう親不孝者だ。

 

釈迦にならなければ優しくなれない、そんな境地に父を一瞥する。

783

今しがた、すれ違ったのは、私の知っている人だったろうか?

軽く会釈をして、返してくれたから、多分、私の知っている人だろう。

それとも、私が会釈をしたから、知らない人だけど、返してくれたのだろうか?

 

後ろを振り向けば、ブロック塀の影に隠れた、後ろ姿が見える。

大きな声で、呼べば、振り向いてくれるだろうか?

それとも、私が呼んだと気付かずに、ブロック塀のあの角まで歩くだろうか?

 

果たして、私がすれ違ったあの人は、私の知っている人だったろうか?

じんじんと熱せられる、田んぼのあぜ道から、カエルが飛び出してきた。

そのカエルは去年見たカエルとは違う、私は何故、言い切れるのだろうか?

 

皺を数えられるほどにじっと見ていない。

手の大きさを計れるほどにじっと見ていない。

ただ、顔を上げて、4歩、振り向いて、5歩、その間しか見ていない。

 

すれ違ったのは、私の知っている人だったろうか?

軽く会釈をして、返してくれたから、多分、私の知っている人だろう。

それを確かめる術は、あのブロック塀の曲がり角に、置いてきた。

 

あいまいなままに、記憶をなぞる、8月半ばかな。

781

どの程度の頻度で誘えば良いのかが分からない。

あまりにも頻繁なのは、私が嫌だからしたくはない。

しかし、間隔が開き過ぎるのも、駄目な気がする。

 

次の約束を取り付けるなら1週間以内で、という記事を読んだ記憶がある。

しかし、1週間などあっという間ではないか?

ずぼらな私には頻繁さの加減は難し過ぎる。

 

関係維持は難しい。

私と言う人格を知っているなら、連絡が来る事自体レアケースなのは承知されているだろう。

結句、自分が可愛い私に反吐が出る。

 

連絡を取ろうと考える時点で、私の中では結構な変化ではある。

普通から逸脱しているから、この変化は喜ぶことかもしれない。

せめて今よりは良好な関係になれれば良い、ぐらいの認識で動いている。

 

「頑張んなさい」と知り合いに言われた。

何を頑張れば良いのか、その時は疑問符を浮かんだ。

今、どうやって関わろうかと試行錯誤することなのか、とぼんやり考える。

 

向こうもそれほど連絡を見ない人のようなので、じっくりと待つ。

何か、変な風に受け取られそうな気もして、すでに不安で息苦しい。

この変化は本当に良い変化なのか、絶賛懐疑中だ。

 

考えても仕方ない、夕飯のお誘いからしてみよう。

頭の中はすっからかんなのだから、まずは行動してから考えよう。

結果がすべて、後付けでも理由があれば良しとしよう。

 

ふと、最近はその人のことばかりを記事にしている気がする。

書き易い、というのもある。

しばらくは一喜一憂をネタにできるな、と私の内から嫌な顔をした私が出てくる。

 

ぐずぐずと人間に菌が湧いてきたら、私のようになる。

それを発酵したと前向きに考えるか、腐敗したと後ろ向きに考えるかは、置いておこう。

どちらにしても、菌が繁殖している時点で駄目だろうから。

 

連絡を取る、ただそれだけのことに煩悶する。

夏の夜の一過、まだ暑い日が続く。