ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

〇〇を取っ掛かりに考えます。-「私」の追求

自分らしくいるために、取捨選択は自分でする。

自分らしさを取っ掛かりに考えた。 自分らしくいるとはどういうことか。 「らしい」という曖昧なのに妙に明確な言葉に惑わされる。 一体、自分らしくいるとは、どういうことだろうか? 自分らしいとは、何を以て自分と定義しているか。 他者とは違う、自分ら…

地獄の底より愛を込めて。

「世界一いい言葉欲しいです」 Twitterと連動している質問箱に私宛に届いていた質問だ。 奇妙な質問だな、としげしげと読む。 世界一いい言葉、とは何であろうか? 想像しても雲を掴むようで要領を得ない。 それも「欲しい」と言うのはどういうことだろうか…

人生の目標を見付ける方法は、ひたすらに考える。

「人生の目標」、一体どういうものが人生の目標に相応しいのだろうか。 言葉のイメージでは壮大で、人生を全うするのに必要なもの、のように感じる。 「人生の目標」を見付けるのは途方もない話のようで目眩を覚える人もいるかもしれない。 しかし、難しい話…

私は筋金入りの殻篭りだ。

自分の殻を取っ掛かりに考えた。 いつもの如く、質問箱に質問が届く。 今回は、「自分の殻を破るにはどうすれば良いか?」とするものであった。 割りと真剣に考えてみた。 自分の殻を破る、現状に不満があるから変えたいのだろうか。 自分の殻を破るには、行…

障碍は「障碍」であり、自殺は「自殺」だ。

私の思考は相変わらず愚鈍だ。 ゆるりゆるり考えていく。 連続する無意識の思考は、僅かに確かに変わってきている。 学習とは変化すること、と学んだ。 今まで知らなかった自分から、知った自分へ。 そこから派生する、思考の変化は、やがて私の自意識を変え…

幽霊が死んでも、私の悲しみは必ず残す。

幽霊の寿命を取っ掛かりに考えてみた。 最近の私はTwitterに専ら入り浸っている。 Twitterを始めた当初は呟くことなどない、と考えていたが、今では暇さえあれば覗いている。 慣れだろうか、愚物の成れの果て、今日もちらちらとTwitterを覗いた。 すると、あ…

ただただ、「ああ、好きだな」と放言するだけでござい。

「本当に好き」が分からないとき、どうしているのか質問箱で聞かれた。 「本当に好き」が分からなくなるのは、くらべた結果ではないだろうか? 私なりに突き詰めて考えてみた。 まず、私は「本当に好き」という感覚がないのかもしれない。 「好き」という感…

怒りを呑み干せ。

怒りを取っ掛かりに考えます。

あなたが疑って生きると決めたのであれば、そう生きれば良い

潔癖、完璧主義な人間のAll or Nothingの思考は生き辛いだろう。 絶対に間違うと疑ったことは、良かれと思って他者が提案したことを否定する、信じない人をこの場合は指す。 私もその一人だが、「疑う」ことに対して、感じたことをつらつらとまとめてみた。 …

人間らしさとは、過剰な無駄を出すことだ。

人間らしさを取っ掛かりに考えた。 何を持って人間らしいと言えるのか? ふと、そんなことを考えた。 風呂で一汗流しながら、ぼんやりする頭で一考してみた。

上の小枝の取扱い説明書。

アプリ「質問箱」にて私の性格の取扱説明書について質問があった。 ふと、どう説明すれば良いか、考えてみた。 言葉にすると、違うかもしれないが、私の考える私の取扱い説明書を書く。

「あなたはあなたのままで良い」と伝えるのは当たり前のことだ。

「あなたはあなたのままで良い」と友人に言った。友人は、「嬉しい」と応じた。ふと、私はそんな大層なことを言っただろうか、と疑問符を浮かんだ。 友人は、「あの人は考える人、私は考えない人」と自分を卑下していた。私は「友人は興味があることには考え…

謎で奇妙で不可思議な他者と私の在り方の一致のその先へ。

奇妙な一致について。 人との繋がりは不可思議である。 私は私と相容れないことを悟り、「普通」になることを諦めた。 しかし、「普通」になることを諦めてから、共通する点を見出すような人がいることに気付いた。 諦めたから気付いたのか、元から知ってい…

自殺しても良い、心が救われるのであれば。

自殺を取っ掛かりに考える。 Facebookで自殺に対しての意見を求める投稿があった。 十中八九、求められているコメントではないと考えながら、私見を綴った。 ふと、当ブログでも書いてしまおうと、コピペしてきた。

寂しさを飼い馴らせ!

「寂しさ」をとっかかりに考えた。 最近、Twitter上で「寂しさを飼い馴らせ!」とよく使っている。 単純に響きが格好良いから多用しているのだが、「「寂しさを飼い馴らせ!」とはどういうことか?」と質問がきた。 Twitter上でその質問に答えたのだが、勿体…

ポストナルシシズムの一歩を私は踏み出す。

自分の追求の一環として。 私は私が嫌いだ。 「私は私が嫌いだ」と言える私が好きだ。 「「私は私が嫌いだ」と言える私が好きだ」と言ってしまう私が嫌いだ。 と、ぐるぐると考えている状態を諦めているし、楽しんでいる。 と最近になって気付き、「好き」も…

この記事は詰まらないことを延々と書いている記事だ。

うっかり過ごして何時の間に9月27日を迎える。 当ブログを立ち上げたのは2016年9月3日だ。 心を亡くすと書いて「忙しい」とはよく言ったものだ。 徒然と日暮らし、3周年を遠に過ぎ、4年目を呆けた顔で歩いていた。 ピントがずれた毎日で、焦点を合わそうと四…

絶望する女の子に何を伝えれば良いのか、考える。

長文、ネガティブ、そして決意表明だ。

安曇野市全体で自殺者が毎年0.02%いる事実に対して、人間の存在意義における感度の問題として思考しようと決めた。

安曇野市が発行している「広報あずみの」の8月号を手に取る。 特集が「SOSの出し方、見つけ方〜自殺に追い込まれることのない地域を目指して〜」とあった。 なにやら重たいテーマである。 1ページ目、最初の文章は下記の通りだ。 16人が命を絶つ 人の「命」…

三者三様の子どもらの行動に、愛おしさが迸る。

この前の地元の納涼祭でのことでも書こう。 より正確には、地元における私の人物像を書くことになるのか? 具体すれば、私がうだうだしている所にきた子どもらの話だ。

それでも、願わずにはいられない。

2010年に亡くなった祖母の記憶と私の願いについて。

くらべることは変化する「私」をより良い方向に導くための技術だ。

何時からだろうか、日を跨いでも感動しなくなったのは。 今日が昨日に、明日が今日になる瞬間を飽きるくらい経験した今、驚きはない。 しかし、今日4月30日から明日の5月1日は一味違う。 平成から令和に元号が変わるのだ。 日を跨いだ瞬間に元号が変わるのか…

1000記事目を1万文字で綴ってみた。

1000記事目を1万文字で綴ってみた。 本文は下記より。

私が「普通」になれない絶望に感謝を。

最初に。 この記事は私の心情の吐露である。 私自身が決め付けている、私の本質を考えている。 今日の朝までは気分は上々で、上向きであった。 しかし、今は後ろ向きに全力だ。 故に暗鬱とした言葉ばかりなので、そうした暗鬱な言葉に捕らわれ易い人は回れ右…

身丈にあった不便を許容すれば社会全体が良くなるはずです。 

「弱者」を取っ掛かりに考えていた。 「身体が液体説」を考察した時に、不便について言及した。 ふと、「不便」について見解した記憶がふんわりと思い出した。 今後の「私」の境目の追求に必要かもしれない、と過去の各SNSでの投稿を漁った。 すると、2011年…

身体の境目の発明は、不便さから生まれた。

「身体が液体」とする感覚を前提に考察した「私」の境目に関わるトンデモ記事だ。

鏡に映る姿は、私と「私」との距離を表している。

見えている「私」を取っ掛かりに考える。 道の真ん中に点々と田んぼの泥土が溺れ落ちている。 日に晒されて白くなったその土の上を、幾つもの自動車が通り過ぎる。 田んぼを見れば水を引き入れており、その水面に見事な鏡として、空と雲と山を写している。 …

もっとネガティブでいこうよ!

当ブログは、ネガティブ方向にポジティブだ。 後ろ向きに全力を傾けている。 私自身に対して、認識の深堀りに注力している。 そのブログをその時々の気分によって、検索することがある。 「ネガティブ方向にポジティブ」と当ブログの名前を検索窓に軽快に打…

「私」に「名前」は要らない。

「名前」と「私」の関係を取っ掛かりに考える。 帰路の途中で立ち止まる。 長い旅路になるのは、もう分かっている。 月でも眺めながら、のんびり休むことにする。 休みながら、頭は想像する。 「私」とは一体、何なのか? 記憶するのにあるシステムの一部な…

霊は、現世に「生きた証」を留めようとするものである。

霊を取っ掛かりに考える。 長文のため、「目次」と「続きを読む」の機能を使用する、当ブログでは初めてだ。 記事を読まなくても、結論がタイトルに書かれているから、「そうなんだな」と流してもらっても良い。 どうして、そうした思考に行き着いたかは、本…