閑話休題その7、です。
ブログを始めて1ヶ月ちょっと、毎日ではないけど、記事投稿が続いています。
このことに私自身、驚いています。
SNSでは放置する期間が3ヶ月とか半年とかある私がこんなにも続けられるとは…
ブログとの相性がすこぶる良いのは一体何なのか?
私の内面の掘り起こしをしよう!と考え、考察してFacebookに投稿しました。
そしたら、「ブログにも掲載したら?」と指摘されまして。
そういうことなら…改めて記事を書こうと。
はてなブログはコピー&ペーストは宜しくないらしいので、非常に億劫ではありますが、書き直しです。
まず、「ブログ」とは何か?
そのことを書いたブログがあったので、参照させて頂くと…
『ブログとは、ウェブログ(Web Log)の略です。ウェブサイトに記録(Log)するから、ウェブログ(Web Log)。略してブログ』
『ブログとは情報発信ありきのメディアで、通常のウェブサイトと同様、「発信」の色が濃く、情報量も多い性質があります』
続いてSNSについての記述もありました。
『SNSはSocial Networking Serviceの略で、人と人をつなぎ、コミュニケーションを楽しむためのサービスです』
『ブログのように個人の発信ありきのものではなく、会話に近いコミュニケーションが特徴です』
ネットメディア攻略研究所|ブログとSNSの違い ブログって何?SNSって何?
https://m-ochiai.net/blog-sns/
(ここだけコピー)
さて、ここでの違いは何なのか?
端的に言えば、SNSは双方向、ブログは一方方向であること。
そのことを踏まえて私がやっているSNSについて考えてみる。
私がしているのは、mixi、Facebook、Twitter、はてなブログの4つ。
mixiでは。
確かに相手をいることを意識していますね。
そも、悪友に誘われて入会しているので、双方向であることを意識せざる得ないところがあります。
ただ、ここ数年は12月の個人企画の発信、つまり一方方向の記事に重点を置いています。
Facebookでは。
双方向…まあ、そうなのか?旅行や考察のアクションが欲しい?
いや、どちらかと言えば、一方方向だな。
書きたいから、書いている。そも、「嫌われてもいいや」がFacebookの根っこにありますし。仲良くしようの双方向の思想ではないな。
Twitterでは。
独り言を呟くのは人によっては双方向でしょうけど。
私の感覚では一方方向なんですよね。何せ、呟くことの内容のなさが半端ない。
しかも、はてなブログのことしか呟いていない…どう反応しろと?
そして、はてなブログ 。
言いたい放題の荒れ荒野、どう見ても一方方向です。
SNSに苦手意識があったのは、「相手がいることを想起しているから」
こちらから会話の糸口を発信することを意識して記事を書く訳ですから。
しかし、私の思想や信念は世の中とズレている部分が多々あり、誰かと会話する為だけにエネルギーを費やすことに維持できない部分があります。
それは私が常に一方方向のコミュニケーションしかしていないから。
自身の思想、信念のみをただ書いているので極論、私のみが解れば良い節があります。
ブログに嵌ったのは、私の一方方向の発信とブログの特徴が一致したことなのでしょう。
ならば、「一方方向の発信」を何故私はするのか?
「一方方向」であることは、私が一人ぼっちの人間だから。
受け身人間である私は相手の言い分を聞くのが常です。
文章を書くときは、「言葉にする」ことに没入して書いていく訳です。
しかし、現実では自分の考えを言葉にする時間がなく、また、リアルでは同時刻同場所を相手と共有しているため、相手の都合で会話が終わったりします。
双方向はお互いに思考や体験を共有している部分があるため、会話が成立します。
会話が成立するよう働きかけること=コミュニケーションではないでしょうか。
SNSでは共有が求められているのは自明の理です。
記事が上れば「イイネ!」ボタンを押す人や、メッセージでやりとりをしようとする人。
その声に応えようとすることへの息苦しさがあるのかもしれません。
何せ私の思考は所謂「普通」とは違い、共有しにくい部分があるから。
ブログではその「共有」を無視して完全一方方向化している節があります。
とにかく、打って打ってアウトプット!している感じです。
普段から言葉にしない現状が私を駆り立てているのかもしれません。
では、「発信すること」、何故、私は自身の妄想を不特定多数のいるインターネットに記事を書いているのか?
書くにしても、非表示にして自分だけの中に留めないのか?
私にとってブログの在り方は一人ぼっちの在り方を問うものではないか?
ぼっちである私は私の中で完結している事柄が多々あります。
その中には変えられない本質的な問題も含まれています。
しかし、今まで生きてきた中で、私の思想に影響を与えたのは、私以外の人間の考え方でした。
私の一方方向の記事は、私という存在が妄想していく中で、私とは違う人間の「発信」があるかもしれないから。
一方方向で既に規定された路線から思わぬ方向に行くことへの「期待」があるから。
そう、相手の妄想に自分とは違う答えを探したい。
SNSの双方向な共有することに重きを置いているならば。
ブログは一方方向な妄想のし合いに重きを置いているのではないか。
アクションを求めず、ただ、好き勝手に言える美しき【ぼっちの世界】
結論、「私という存在が妄想する一方方向な記事を発信することで、新しい妄想に出会うことに期待しているから、私はブログをしている」
…フフフ、ここまで手直しも加えて書いたけど。
やっぱ自分のためだよね。
だから、あえてブログである意味は他者の存在は無視は出来ないけれど。
ぼっちである私が他者を意識すれば、相手が私を理解することではなくて、私が相手に勝手に期待しているだけ。
相手に依存しながら、相手を拒絶する。
これぞ「拗れたぼっち」、自己矛盾の果て!素晴らしい!
まあ、ぼっちはぼっちで楽しいよ?と最後に言ってみる。